ザ・スミスはへたれどものヒーロー(尾崎豊)か?

plagio2005-04-26


昔、イギリスにザ・スミスというバンドがありました。労働者階級だけでなく、中産階級、果てはアメリカのティーンエイジャーに至るまで絶大な人気があるとのこと。
田舎に住んでた高校生の僕はなんだかよくわかんないけれどもとりあえず聞いてみました。ジョニー・マーが放つキラキラチャカチャカアルペジオギターは、なるほどと思ったものの、曲そのものはたいしたことはなく、革新的とは言いがたく、寧ろ古典的な部類だと思いました。

で、歌詞はというとビーチ・ボーイズ(というかブライアン・ウィルソン)から脈々とひっそり受け継がれてきた「だめな僕」系をベースに、屈折しまくった変な歌詞でした。
「ねぇママ、ぼくの頭の上から泥が落ちてくるよぉ」とか「ぼくはついに悟ったよ。ある女の子は他の女の子より大きい。そしてある女の子のお母さんは他の女の子のお母さんよりも大きいんだ」とか。青春真っ盛りの僕には悪影響この上ありませんでした。

実際日本でも熱狂的なファンが多かったような気がします。「スミスナイト」という恥ずかしいイベントも夜な夜な繰り広げられていました。行った僕も僕ですが、案の定そこには異様な光景が待ち構えていました。スミスのTシャツを着た普通のちっちゃい女の子が鬼の形相で狂ったように踊ってたり、いや正確にはのた打ち回っていたり、ジーンズのポケットに水仙の花を入れた男の子が同じく陶酔しながら媚びを売ってたり。見ちゃいけないものを見てしまった、そんな夜でした。

以上が僕がスミスに抱く印象です。
ですからMorrisseyといっても、僕が真っ先に思い浮かぶのはスミスのモリッシーではなく、ウォーホールから金をふんだくって素敵なドラキュラ映画や屑映画を作ったポール・モリセイさんなのです。

で、それから10数年経ち、先日なんとなくスミスを聴いてみました。
ところが、なんだか理由はわかんないけど電光石化に電波がやってきて「ああ、スミスの人気は尾崎のソレと構造的には同様のもんなんだ!」とささやきました。

調べてみるとモリッシーは1959年生まれ。尾崎豊は1965年生まれ。6年の年の差はあるものの尾崎のデビューが早いこともあり活動時期はかなりだぶる。『十七歳の地図』が1983年末発売、スミスのデビューアルバム『The Smiths』は1984年2月発売*1。ほぼ同時期だ。そしてスミスの失速を決定付けたアルバム『Strangeways Here We Come』*2が1987年9月発売、一方尾崎がメジャー路線、売れ筋路線に移行すべく企画されたベスト的アルバム『LAST TEENAGE APPEARANCE』の発売が1987年の10月。双方の実質的始まりと終わりも一致することが興味深い。とはいえカリスマ性の爆発はどちらもここから始まるわけだが。

つまり理由はわかんないけどスミスと尾崎、これは同じ構造で表と裏の関係じゃないかと。火と油だと思ってたんだけど、このファン同士は実は分かり合える関係ではないかと。

で、これ以上なんか言おうとすると当時のイギリスの状況、日本の状況など、覆っていた空気などポストモダン論になっちゃいそうだし、刺されそうなのでこの辺で。

*1:1983年にシングルを立て続けに3枚出してる

*2:僕はこれ実は好きなんだけどね