痕跡――戦後美術における身体と思考@東京国立近代美術館

温度計を買うついでに、竹芝の東京国立近代美術館の「痕跡――戦後美術における身体と思考」展に何気なく行ってきた。

http://www.momat.go.jp/Honkan/TRACES/index.html

ジャクソン・ポロックイヴ・クラインが見られる、ぐらいの事前情報しかもってなかったので、ああアクション・ペインティングとかボディ・ペインティングとかを集めた展示なんだろうなぁ、とあっさり考えていたのだが、ところがところがこれがまたイイ意味で期待を裏切られる突拍子もない面白さ。ホントこういうイベントでここまで興奮したの久しぶりです。

コレ、肖像画や風景画といった所謂通常の絵画ように「何かに似ている」ものではなく、「何ごとかの結果として」意味を与えられたイメージとしての「痕跡」、具体的にはカンヴァスを引掻いたり破ったり、刳り貫いたり、燃やしたり、タイヤで轢いたりした「痕跡」にテーマを絞った企画(痕跡の対象はカンヴァスはとは限らない)。必然的に展示されている作品は現代美術や、具体(具体美術協会)などのアバンギャルドなものになりがちなのだが、古今東西を問わず、また作家の流派?を問わず広い視点からいろんな作品をオーガナイザーの独自視点で選んでいるのが面白い。例えば今回のケースで言えば「痕跡つながり」で作品選んでいるわけだけど、こういう試みって、珍しいのか当たり前なのかはよくわかんないけど、ある意味DJ的だし、オーガナイザーの解釈(や思い入れ)も入ったりするところが好感。

で、作品を便宜上、表面、行為、身体、物質、破壊、転写、時間、思考という8つのカテゴリーに分け、古今東西、作家性を問わず並べて関連性や類似点などを比較しやすいようになっているのだが、これは作家の意図は兎も角として、見るほうはとってもわかりやすい。現代美術って作品見ただけではなにがなんだかわかんないこと多いし、コンテクストを理解する必要もあり、おいおいそんなこと強いるなよ、とイヤになっちゃうこと多いんだけどこれはとっても親切。たっぷり2時間ほど楽しめました(ちなみに成人向けコーナーアリ)。

異色だったのは、榎忠氏の作品。
ハンガリー国へ半刈(ハンガリ)で行く」

見ればわかるように駄洒落。
凄いのは思ったことをやっちゃったこと。駄洒落のためにここまでしてハンガリーまで行くこの心意気!しかもこの風貌のため入国は困難を極めたらしい。さらに驚くなかれ氏は会社員なのですよ。会議もクライアントとの打ち合わせもこのスタイルで行ったわけである。いやはや脱帽。チャンスがあればオランダ人の妻をもらいたいと本気で思っている(当然あの駄洒落を言いたいがために)おいらは、かなりグッと来たのであった。

と、こんな感じの楽しい企画なので行ける方は是非。
あと、同時に展示してた「河野鷹思のグラフィック・デザイン――都会とユーモア」も面白かった。

あっ、温度計買うの忘れた。

◆追記
一般論的でつまんないことなんだけど、現代美術にせよ映画にせよ音楽にせよ、あらゆるテクニカルな手法はほぼすべてやり尽くされてしまったわけで、あとはウンコを素手でカンヴァスに投げつけるとかのパフォーマンスとかしかないのかなぁと漠然と思っていたわけだが(とはいえおそらく既に誰か同じ様なことはしているであろう)、別の面で見ていると、そうしたうねうね考えてるときに(好き嫌いは別として)村上隆なんかは、とっても頭のいいやり方をしてるんだよな。つまり、戦略的にコンセプトやアイデアを小出しにして、コンテクストのストリームを創り出してスノッブエスタブリッシュの人の琴線を震わせるやり方をしたというか。ただ、これだけでは不十分なんで、スーパーフラットなんかのわかりやすい概念を出してマス(つってもオタクとかだけど)の支持を得るとかの両穴攻撃。無理やり言い方を変えれば、ビジネスフォーマットの上でアート戦略をやっている。でも、これはこれで評価すべきだと思うなぁ。