それでも僕らがオルタナから学んだものと生み出したもの

前回、メインストリームが幻想だとすると、メインストリームに対する反抗、批判精神が立ち位置になっているオルタナティブも同じく幻想じゃないか?的なことを書いた。

じゃぁ、オルタナ通過者はなにも学んでないか?というとそうは思ってないのです。

なんかもうめんどくさくなってきたし恥ずかしくなってきたのでさらっと書くと、そっから学んだことは「ネタそのものを疑う、あるいはネタから導き出される一般的な結論を疑う。そういう習慣・癖を無意識的に獲得してしまっていること。」これに尽きると思う。ネタとはもろもろの事象だったり新聞・雑誌の記事だったりオーソリティの言論だったりそういうもの。
それともうひとつ。これは表現の領域になると思うんだけど、まじめで一直線で一途な直接的な表現*1でなく、ずらしとひねりといったテクニックを多用してしまうこと。ずらしといってもポストモダンなんかの小難しい考え方や、そもそも性格がひねくれているから、というものではなく、むしろエンターテインメントを狙ったものだと解釈すべき。

それらをカッコイイ言い方で言い換えると「批判精神をベースにモノゴトをエンターテインメントに昇華させる力」、または「ネタをあらゆる角度からいじり倒して、対象に対する笑いと自虐な言い回しで失笑を同時に与えつつることによりユーザとのコンティニュアスな関係性を持続・維持するテクニック」(USO)ということになろう。

それをそのままBlogに置き換えてしまうと一億総Blog化になっても、おいらが楽しみにするBlogはそういうものがベースになってるBlogなんだろうなーと思う次第である。

*1:根本的にそういう表現に憧れる一方、気恥ずかしさの方が勝ってしまうのが小市民の現実